他人に嫌われるのが怖い人は愛着障害かもしれない【岡田尊司さんの愛着障害 子ども時代を引きずる人々】

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こんにちは。hagebeatsです。

今日は岡田尊司さんの「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」を読んで自分の幼少期を思い出したので、つらつらと書いていければなと思います。

愛着障害とは?

まず、愛着障害とは何なのか?おそらく初めて聞いた人の方が大半だと思います。愛着障害は、幼少期に母親からの愛着行動がないと起こる障害です。例えば、抱っこをされるであったり、何か頑張ったら褒められたりといった行動が母親からの愛着行動です。この愛着行動がないと、母親がそばにいなくても安心できないようになってしまうんですよね。母親がそばにいなくても安心できる環境自体を安全基地と言いますが、安全基地の形成が妨げられるために、対人関係のコミュニケーションが歪んでいきます。安全基地が確保されると、多くの人は反抗期に突入します。それは、母親から愛されていることが前提となっているからです。母親から愛されていることが当たり前だからこそ、新しい世界に出て行こうとする行為が反抗期なんですが、それゆえ安全基地が形成されていない人は、なかなか新しい世界に出ていく勇気を持つことができません。

だから、結論から言ってしまえば、他人から嫌われるのが怖い人は、幼少期に安全基地が形成されていない可能性がある。僕も歪んでいった一人でした

承認欲求と幼少期

僕は自分でも気づかないうちに自分に嘘をつき続けていた人生でした。

僕は人とコミュニケーションをするのが得意だし、そうやっていきていくんだと。いわゆる外交的なタイプ。ところが、僕の潜在能力はそこではなかった。幼少期から妄想にふけっていたし、大した賞ではないかもしれないけど、市の展示会で必ず硬筆で賞をとっていた。また、あるときは将棋に熱中し、将棋の大きな大会で東北地方でベスト16まで勝ち進んだこともある。熱しやすく冷めやすい性格であるがゆえに突出した結果であるとは言えないが、何のストレスも感じず、ただただ好きで将棋も硬筆もやっていたので、自分に合っていたんだと思う。

ルームメイトにこう聞かれた

俺?CEOだよ。社員いないけど
なんで奨励会に入ってプロ棋士とか目指さなかったの?

こう質問するのも無理ない。なにせ、小学校の昼休みに将棋をひたすら打っていただけの子供が、将棋クラブと言って習い事として真剣に将棋をやって、奨励会というプロ棋士養成所に入ることを夢みて日夜駒を打ち続けている小学生たちに勝ってしまったのだから。

僕はこう答えた。

hagebeats
親はスポーツやらせたがっていたから。将棋をそこまでやろうとは思わなかった。

ひどく僕は承認欲求が強い。理由は幼少期の愛着が足りなかったからだろう。岡田 尊司さんの「愛着障害子ども時代を引きずる人々」に書いてあるが、幼少期に愛された経験がない人たちは、安全基地を確立することができず、外に冒険することができない。

秋の発表会

僕の場合は、親父は年収1500万のスーパー営業マン、母親は更年期障害で1ヶ月に一回は倒れていて、僕の下には5歳下に弟、10歳下に妹がいたので、とても僕が構ってもらえるような環境にはなかった。

次第に僕は親に承認されることは諦め、学校に承認されるように求めた。成績はいつも上位、学級委員や生徒会も毎年やり、学年では優等生という立ち位置になっていた。それでも努力を怠ったことはなかった。ところが、当然のごとく親には認めてもらえない。というか両親ともに仕事と病気でそれどころではない。僕は子供ながらに諦めていた。こんなエピソードがある。

小学校の秋の発表会でのことだ。秋の発表会は合唱とか劇とかを発表する定例行事。学校で優等生立ち位置に立っていた僕は、秋の発表会で大トリの挨拶を全校生徒400人、婦警も含めたら800人近くの前で話すという大役を担っていた。自分が親だったら、そんな子の晴れ舞台絶対に見逃すまいと席の真ん中最前列に陣取り、ビデオカメラを設置していただろう。ところが、当時小学校6年生だった僕は親に大トリであることを伝えなかった。のちにPTAの会議で母親が僕は秋の発表会で大トリをやったことを知り、こう僕に尋ねた

母親
なんで、大トリやるって教えてくれなかったの?

そうすると僕はこう答えたという

hagebeats
どうせお母さん具合悪くて来れないでしょ。

僕は当時こうお母さんに告げたことを覚えていない。ただ、記憶にあるのは母親への思いやりの精神だ。母親に大トリをやると行ったら、這いつくばってでも人が密集した体育館に来るだろう。でも、それは母親の体にとってよくない。母親には無理してほしくないという思いやりが、母親に認めて欲しいという承認欲求に勝った結果、僕は大トリをやることを伝えなかった。

ちなみに、この話は母親から聞いた。母親はこの時強く反省したということを最近になって話してくれた。今、26歳なので15年の歳月が経ったのちのことだ。

そこから自分に嘘をつきつづけた。承認されたいのに他者の欲求を満たしつづけた。じゃなかったら、将棋も心ゆくまでやっていたし、硬筆も習い事として続けていただろう。それを人は利他的だというかもしれないが、自分がその環境で生き続けるための究極的な利己的な行為であった。要するに利他的な振る舞いに見える利己的な行動だ。つまりそれは自分だけの秘密なのだ。自らに嘘をつき、その嘘の中で理想を描いていく。つまり、自己欺瞞なのだ。

従属的コントロール

さて、僕の経験をつらつらと書いてきたわけですが、今回読んだ「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」を参照すると、僕は従属的コントロールをしていたように思います。従属的コントロールとは、

従属的コントロールは、相手の意に従い恭順することで、相手の愛顧を得ようとする戦略である。一見するとコントロールとは正反対に思えるが、相手に合わせ、相手の気に入るように振る舞ったり、相手の支えになったりすることで、相手の気分や愛情を意のままにしようとする点でコントロールと言える。

親に承認されることは諦め、成績はいつも上位、学級委員や生徒会も毎年やり、学年では優等生という立ち位置を取りにいっていたのは、明らかに従属的なコントロールでした。誰にも嫌われないようにするためにはどうしたらいいかを考え尽くした結果、優等生という立場で皆から愛される環境を作ることが自分にとっての従属的コントロールだったんだと思います。

秋の発表会に大トリだったんだけど、親を呼ばなかったのも愛着行動を示しても親からなんの反応もないことがわかりきっていたから。我ながら悲しい話です。安全基地を確立できなかった人には何種類かパターンがあるのですが、僕のように親からの愛着を諦めてしまって、周囲をコントロールすることで保護や関心が不足したり不安定な状況を補うようになるのを回避型愛着障害というようです。

だから、他人に嫌われるのが本当に怖い。他人に嫌われるというのは僕にとっては周囲のコントロールができてないことと同義なんですよね。他人から嫌われてしまったら、僕には逃げる場所がない。そういう強迫観念が昔はあった。家族はあてにならないわけですから。

最後に

なんだか悲しい話書いてしまいましたが、僕はこの本を読んで自分の幼少期を振り返ることができ、自己理解が進んだように思います。他人に嫌われるとやけにストレスが貯まる人にはオススメです。


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