こんにちは。どうも26歳でハゲているhagebeatsです。
ハゲは女性に嫌われる三大巨頭のハゲ・チビ・デブの一つであり、男性のコンプレックスの象徴と言っても過言ではありません。そんなコンプレックスがあっても、楽しく生きていこうよという想いでyoutubeやったり、ブログを書いたりして、はや3年なんですが、
という余りにも根本的な疑問がふと頭に浮かんでともかくググりました。
精神分析で、感情の複合。現実の意識に反する感情が抑えつけられたまま保存され、無意識のうちに現実の意識に混じり込んでいるもの。強迫観念や夢はこの複合が象徴的に現れたもの。特に、「インフェリオリティー コンプレックス」(劣等感)の略。
ということで気になってしまって、何か「コンプレックス」について深く考察した本はないのかと思ったらありました。
突然ですが、みなさん、哲学書を読むことはありますか?僕は全く読んだことがありませんでした。だって哲学書って難しそうだし。事前知識がないと、何気なく普段使っている単語の意味すら、特別な学術用語になっている場合もあったりして、意味がわからない本が多そうなイメージでした。まさに、「コンプレックス」という言葉は何気なく自分も使っていたけれど、どうももっと奥深い言葉なのかもしれないと思って苦手意識がありつつも読んでみました。
コンプレックスの語源
コンプレックスというのは、感情の複合体。これはどういう意味なのか?そこからまず紐解いていきましょう。本でもまずそこに触れていました。
自由連想法という精神分析手法があります。これは、精神医学者のフロイトが潜在的な意識の中から不安神経症の原因を探るために編み出した手法です。例えば、みなさん「りんご」と言われたら、どんな言葉が思い浮かびますか?
・丸い
・赤い
・果物
などの言葉が思い浮かぶでしょう。ある人は「りんご」と言われて、「お母さん」と思い浮かぶことがあります。それは昔、自分のお母さんが夕飯の後に「りんご」を必ず剥いてくれたからかもしれません。また、ある人は「寂しい」と思うかもしれません。それは、昔付き合っていた恋人が「りんご」がとても好きだったから、「りんご」をみると寂寥感が湧いてくるのかもしれません。こう言ったように一つ「りんご」という言葉をとっても、人それぞれ様々な思い出があるので、様々な言葉が思い浮かぶのです。そして、そこからその人の家庭環境やストレスといったその人の内面性まで深く掘り下げることができるのです。
とは言ってもそんな単純な話ではなく、一つの言葉で様々な言葉が連想されるので、その人にとって何が負担なのか分析するのは非常に困難とされていました。フロイトは、これをコンプレックス(複合体)と呼びました。コンプレックスが複合的という意味を持つのは、こう言った理由です。
自由連想法のイメージが掴みにくい方は、「まんがでわかる! フロイトとユングの心理学」の前半にフロイトとユングが実際にどのようにして患者をカウンセリングし、不安神経症(今でいうパニック障害)を治療していったのか具体的な例とともに描かれているので、こちらをみてみるといいかもしれないです。
無意識と意識
ちなみに、コンプレックスについて、河合隼雄さんの本「コンプレックス」から引用すると、以下のように書かれていました。
無意識内に存在して、何らかの感情によって結合されている心的内容の集まりが、通常の意識活動を妨害する現象を観察し、前者の心的内容の集合を感情によって色付けられた複合体。コンプレックスと名付けた。
さて、ここでみなさんに質問です。
無意識とは何でしょう?
これもよく使う言葉ですが、イメージしづらい。いや、そもそも自分が気づかないうちにやっていることなんてイメージできることなのかどうかもわからない。なんだ?無意識って?
簡単に言えば意識していないこと。自分自身が意識していない範疇で行われることが無意識で行われること?なのか???じゃあ、自分自身が意識している状態ってどういう状態なのか?
ここで本では自分自身が自分自身を意識している状態を4つ定義してくれています。主体性、単一性、同一性、自他の区別の4つです。
主体性というのは、私が何をするのかという意識です。
みたいな人は、
と言われてしまうと思うんですが、その主体性です。今回のケースのように、仕事を先延ばしにした場合、面倒臭いなと思う自分とでもこの任された仕事は完遂しなければいけないと思う自分がいると思います。
次、単一性。これは私が一人であるという意識です。「ゲスの極み乙女。」の曲の「私以外私じゃないの」という歌詞にもある通り、「私以外私じゃないのは当たり前」なんですが、世の中は広い。解離性同一性障害の方やパーソナリティ障害を抱えている方には複数の人格を「私」の中に抱えている場合があるので、「私」が一人であるという意識を保つのが難しいケースもあります。
次、同一性。これは私は過去から今、今から未来の自分も常に自分であるという意識です。これも当たり前のようでいて、過去に虐待やネグレクト、DVなどを受けた人は解離性健忘といって、過去の経験が余りにも辛すぎたために、脳が自意識を保つためにまるで空白の期間があったかのようにその記憶がすっぽり抜け落ちる症状が出るケースがあります。
最後、自他の区別です。他人と自分の区別がつくかどうか?
すいませんでした。それでは、あなたは他人の物と自分の物の区別はつきますか?また、他人の笑顔の意味や他人がジェスチャーで必死に何かを伝えようとしていることの意味がわかりますか?意外かもしれませんが、近くにいる友達と自分の区別がつかない人がこの世にはいます。それは興味の範囲がすごく狭く、自分もしくは自分の興味のあることにしか目がいってないからかもしれません。アスペルガー症候群や自閉症スペクトラムの障害を持っている方はこの傾向が強いです。
自我とコンプレックスの関係性
さて、もう一度質問します。
無意識とは何でしょう?
という人も多いのではないでしょうか?何を意識して、何を意識していないのかわからない。自分自身が誰なのか不安に思う人も多いでしょう。まあ、僕だって自分のことはよくわかりません。でも、重要なのは、無意識の中に潜む自分自身と向き合うことで自分自身を意識化できるということであり、人生はその繰り返しなんです。何気ない仕草や行動の中に自分自身が隠れていることがあるんです。そして、その何気ない仕草や行動の原因を掘り下げていくと、自分のコンプレックスの本質に気づくことができると思っています。
最後に
コンプレックスが存在しているかどうかは問題ではないし、どんなコンプレックスがあるかも問題ではない。重要なのは、自我とコンプレックスの関係性なんです。本の一番最後に書いてありますが、自己のコンプレックスを拒否したり、回避したりすることなく、それとの対決を通じて、死と再生の体験をし、自我の力をだんだんと強めていくことが自己実現の過程なんです。
という話を少しづつできればと思います。ちなみに今日した話は「コンプレックス」の序盤です。じゃ。